巷では火星接近に話題を呼んでるようで。
 
で。
今回はこんなお話。
(別に火星は関係ない。)
 
 
 
 
 
 
私が幼少の頃のある夏の夜。
母の話では幼稚園児くらいだったと言う。
 

母と父と私三人で、近所の川に蛍狩りに行った時の事。 
その日は雲ひとつ無い夜空で、電灯の少ない田舎でも明るい夜だったと言う。
 
川のほとりを歩いていると私が一言、母に。
 
私『お母さん。お月様が泣いてるで。』 
 
 
 
 
 

きっと地上と上空の温度差で月がダブって見えたのだろう。
しかし、そんな知識が無い当時の私には"月が泣いて"見えたのだ。
 
 
 
 
 
 
何時からだろうか。
何時の間にか、私には"月が泣いている"ようには見えなくなってしまった。
 
それが大人になったと言う事なのか。
人は、何かを得る為には、何かを捨てなければならない。
  
そのことを否定したりはしない。
そうすることで、今の私が居るのだから。
 
しかし…。
そんな愚かなまでに素直な感受性を犠牲にしてまで、
一体私は何を得たのだろうか。
 
人間関係に悩み、ストレスを抱え。
矛盾と辻褄合わせの社会と共存する為の協調性を得る為に、
私は成長したのだろうか。
 
なんの大人になる為に。
 

 
 
 
―今日イチ―
あなたが忘れ去った夜空
私が呼んだ雨雲
そして知ることはないでしょう
今もあなたの頭上 高く高く流れた
宇宙(おそら)は天の川に溺れて
月が遠くで泣いている
暗闇の中 泣いている
 
Cocco
~あなたへの月~

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